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分別( ぶんべつ )があるのはいいことですか?|ベル少短 かわら版 VOL.19

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分別》( ふんべつ )

分別があるのは良いことですか
『学研・国語辞典』によれば「世間的な物事の道理をよくわきまえること。また、その道理によって物事を慎重に考慮・判断すること」と書いてあります。 世間一般では「分別」そのものはいいことで、「無分別」はいけないこととされていますが、仏教においては逆のことを教えています。

分別は→われわれ凡夫の知恵(ちえ)
無分別は→ほとけの智慧(ちえ)

江戸時代の曹洞宗の禅僧、「良寛」のエピソードに、ある日、縁側で日向ぼっこをしていると、襟元にシラミがはっています。良寛さんはそのシラミをつまんで日の当たる所に置き、日が陰ると、シラミを戻されたといいます。(シラミは日光が苦手で死んでしまいますのでシラミにとっては迷惑な話かも知れません)

いいお話ですが、現代ではシラミは殺さなければなりません。 仏教者が云いたいのは、魚や家畜を殺して食べるときと同様にシラミやゴキブリを殺すときにも「ごめんなさい」と“あやまる心”を持ってほしいということなのです。

良寛はシラミを見ても差別をしない、無分別の眼(仏の眼)をもっていたということを知らしめたかったのではないかと思われます。 「分別」の知恵しか持たない私たちは平気で事物を差別し、有害だから殺してしまえという考え方をしがちです。
仏教は、無分別の智慧を持ちなさい、分別の知恵は、本質的に恐ろしいものである。だから、私たちにその恐ろしさを知ってもらわなければならないと教えています。

役不足》(やくぶそく)

能力・力量に比べて役目が軽すぎること(新明解 国語辞典・第4版)ですが62.8%の人が能力・力量に比べて役目が重すぎると逆の意味で答えたそうです。

自分を謙遜して使う言葉ではなく、「あなたには役不足でしょうが、お願いします」などというのが本来の使い方です。
相手が本当の意味を知らない場合は、「私を侮辱するのか!」といって、おこられる可能性もありますので、ご注意ください……!