コラムColumn

ベル少短かわら版

ベル少短 かわら版 VOL.10

2020.11.20

《卒塔婆》 (そとば)略して塔婆(とうば)

サンスクリット語の“ストゥーパ”を音訳したものです。 起源は、古代インドにおいて土饅頭型に盛り上げた墓のことです。
お釈迦様の入滅後は、墳墓としてよりも、記念碑的性格を帯び、多数の塔が建立されました。この塔を中心に、仏教運動が起こり、大乗仏教に発展してゆきます。
のちに現在のように、長い板に、塔の切り込みつけて、供養のためお墓に立てる習慣ができました。 それ以来、板塔婆を、卒塔婆、塔婆と呼び、建造物の塔と区別するようになりました。

《舎利》 (しゃり)サンスクリット語の“シャリーラ”の音訳

シャリーラは「身体」あるいは「骨格」の意で、転じて「火葬にした遺骨」となり、特に、お釈迦様の遺骨を「仏舎利」(ぶっしゃり)と呼んで尊びます。寿司屋で、ご飯のことを「しゃり」と呼んでいます。これは、仏舎利が米粒に似てるので、その形状による呼称とされています。
しかし、「舎利」と漢字が当てられているサンスクリット語は二つあります。
一つは、上記の“シャリーラ”で、もう一つは“シャーリ”「米」です。 したがって、寿司屋でいう「しゃり」は仏舎利が米粒に似てるという説明より、「米」そのものの意味である“シャーリ”のほうが説得力がありますね。

お釈迦様の入滅後その遺骨は八等分され八つの仏舎利塔が建立されました。
その後、紀元前三世紀のころインドに中央集権的統一帝国を築いたアショーカ王は八つの塔を開いて仏舎利を取り出し、それを細分して八万四千の塔を建立したとされてます。
この数字はさだかではありませんが、とにかく数多くの塔を建立したことはまちがいのないところです。

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